top of page

​川女歴史探報

同窓会報第13号(令和2年7月1日発行)でご紹介した『川女歴史探報』を野口先生のご厚意でホームページに掲載できることとなりました。

同窓会の持つ数々の資料を丹念に読み解いた川女ヒストリア。ぜひお楽しみください。

ホームページ掲載にあたって

元社会科教諭(2006年~2020年勤務)

野口 孝 

『川女歴史探報』は、戦前の高等女学校時代の出来事を新聞形式にして日本史の授業の教材として生徒に示したのが始まりです。同窓会所蔵の『校友会報』や写真をもとにテーマを決めて紙面を構成していますが、地方に出かけて調査したものもあります。

今回このように同窓会のHPに掲載していただくことは大変名誉なこととですが、次の2つの点をご了解ください。

 

あくまでも野口個人の責任で刊行してきたものです。

 

発行所を「六軒堂」と記載してありますが、便宜上であって架空のものです。

第20号以降は年代を追っての「川越高女史」になってきており、日本の歴史が川越高女の中でどのように表れていたかを見いだすと同時に、当時の生徒や教員が時代の大きなうねりの中でどんな風に学校生活を送っていたかを感じ取っていただけたら幸いです。

第21号 1930年代前半(1面、200%)pho.jpg

第21号 「1933年 川越高女は変革を迎えた」

 

1933年、川越高女は社会の変化に合わせて、進路別クラス編成や、実際生活に役立つ授業の特設、学校給食の開始などの変革が行われた。一方で、満州事変以降の天皇崇拝、国粋主義、軍国主義の動きも強まった。

第22号 35,36年(1面、200%)pho.jpg

第22号 「1935,36年 日本精神の強調はさらに顕著になった」

 

日本精神を強調する動きがさらに顕著になった。校長が宮中歌会始に陪席したことが生徒に大々的に周知され、楠木正成600年祭が恭しく行われた。神社参拝や節句行事の実施、宗教的情操の涵養も図られたが、そのために修養部という組織が立ち上げられた。

第23号 国民精神総動員運動(4面、200%)pho.jpg

第23号 「1937年 日中戦争勃発、学校も総力戦体制に取り込まれた」

 

日中戦争勃発に伴って、全国的に展開された国民精神総動員運動。その中で川越高女ではどのような事が行われたのか。一方で、三浦環の来校、生徒による民俗学的調査の成果『川越地方郷土研究』の刊行も。渾身の4面構成。

第24号 1939年勤労奉仕(1面、200%)pho.jpg

第24号 「1939年 勤労奉仕本格化、第二校歌制定」

 

「青少年学徒ニ賜リタル勅語」が発せられ、農村への勤労奉仕を中心とした学徒の動員が強まった。そんな中で、自校体操や行進曲風の第二校歌が制定された。

第25号 1940年紀元2600年(200%)pho.jpg

第25号 「1940年 紀元2600年記念で校庭に皇大神宮造営」

 

神武天皇即位2600年を祝う行事が全国で展開される中、川越高女では校庭西側に皇大神宮の祠が造営された。入試での学科試験が全国的に廃止され、夏休みは「夏季心身鍛練期間」とされて勤労奉仕の日数が増えた​。

第26号 報国団と日米開戦(2面、200%)pho.jpg

第26号 「1941、42年 戦時体制強化と皇国民錬成、そして日米開戦」

 

学校を皇国民錬成の道場にすべく、校友会が報国団に改組される一方、防空訓練、学校農場での食糧生産も本格化。運動会に防毒マスクをつけての競技が現れるなど、戦時体制作りが進められた。そして12月の日米開戦を生徒はどのように受け止めたか。

第27号 「『皇国民錬成』のゆくえは?」

 

1943年、中等学校令公布を受けて、諸学校の目的は「皇国民の錬成」とされて教科も再編成されるが、一方で戦局の厳しさが増す中、「学徒戦時動員体制確立要綱」が策定され、学徒の勤労奉仕が拡大して翌年の軍需工場への勤労動員につながる。1943年は全校での学校生活が1年間展開された戦前最後の年である。それを図書館に保存されていた『教務日誌』や『職員会議録』をもとにたどる。

第28号 1944年 学校が軍需工場になった.jpg

第28号 「川越高女生も軍需工場へ」

4年生から始まった軍需工場への通年動員が次第に全学年に広がる1944年。勤労動員の様子と機銃掃射の恐怖などを記録と証言から辿る傍ら、戦争末期、軍の考えていた「決戦体制」や校長会での生々しい知事発言なども紹介。

第29号 写真で見る1943年の川越高女.jpg

第29号 「特報 写真に見る1943年の川越高女」

高女32回の卒業生から提供していただいた写真を基に構成。卒業記念の組毎の写真をはじめ、「川女歴史探報」27号で紹介した「寮舎修練」や「赤城山登山」「大宮遠足行軍」など、1943(昭和18)年の学校生活を垣間見ることができる。

歴史探報30号サムネイル.jpg

第30号 「1945年8月15日 突然の敗戦」

1945年8月15日、玉音放送で国民は敗戦を知らされた。それを川越高女生はどこでどのように聞き、学校生活はどのように再開されたのか。占領政策が本格化する前の国や県当局の姿勢も見ながら、翌年にかけての新しい時代と戦争の傷跡が混在する姿も紹介した。

S21年3月教職員_edited.jpg

第31号 「川越高女から川越女子高校へ」

1946年から48年、戦後の民主化の動きは学校現場でも怒涛の勢いで現れた。軍国主義以前の学校生活の復活にとどまらず、教員組織の民主化、生徒自治への動き、そして学校制度の変革の中での川越高等女学校の川越女子高校への移行。六軒町の校舎が1つの終焉と共に新しい息吹を迎えた。本号で「川女歴史探報」は最終号に。

本ウェブサイトは、埼玉県立川越女子高等学校同窓会が運営する公式サイトです
Copyright© 2018 KAWAJO Alumni Association. All rights reserved.
bottom of page