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​川女歴史探報

同窓会報第13号(令和2年7月1日発行)でご紹介した『川女歴史探報』を野口先生のご厚意でホームページに掲載できることとなりました。

同窓会の持つ数々の資料を丹念に読み解いた川女ヒストリア。ぜひお楽しみください。

ホームページ掲載にあたって

元社会科教諭(2006年~2020年勤務)

野口 孝 

『川女歴史探報』は、戦前の高等女学校時代の出来事を新聞形式にして日本史の授業の教材として生徒に示したのが始まりです。同窓会所蔵の『校友会報』や写真をもとにテーマを決めて紙面を構成していますが、地方に出かけて調査したものもあります。

今回このように同窓会のHPに掲載していただくことは大変名誉なこととですが、次の2つの点をご了解ください。

 

あくまでも野口個人の責任で刊行してきたものです。

 

発行所を「六軒堂」と記載してありますが、便宜上であって架空のものです。

第20号以降は年代を追っての「川越高女史」になってきており、日本の歴史が川越高女の中でどのように表れていたかを見いだすと同時に、当時の生徒や教員が時代の大きなうねりの中でどんな風に学校生活を送っていたかを感じ取っていただけたら幸いです。

なお、掲載内容につきまして、何かご存知のことや体験談、あるいは誤りのご指摘などがございましたら、同窓会宛に葉書やファクスなど書面でお知らせ下さい。よろしくお願いします。

創刊号 「98年前の植樹か 駐輪場脇の月桂樹」

『校友会報』の記事から、川女正門入って左奥にある月桂樹は 1917年に朝鮮王子の李垠(イ・ウン)が植樹したものではないかと推測。第2号に追加情報を掲載している。

第2号 「外国軍人宿舎になった川女」

 

県立移管後2年目の1912年。埼玉周辺で行われた陸軍特別大演習で川越高女の校舎は外国軍人の宿舎として使われた。

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第3号 「1918年 関西修学旅行始まる」

 

大正時代前半の遠足や修学旅行について紹介。見学地の時代性と、その強行日程に驚く。

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第4号 「100年前の卒業式」

 

県立に移管した頃の卒業式はどのように行われたのか。当時の写真とともに式の内容や卒業生の進路などを紹介。

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第5号 「1906年 町立高等女学校で開校 川女事始め」

 

川女はいつ、どのように始まったのか。1911年の県立移管はどのように行われたのか。上棟式を迎えた骨組みだけの六軒町新校舎の貴重な写真も掲載。

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第6号 「通用門は創建当時の遺構 ―正門の変遷を辿る―」

 

歴代の正門を紹介。初代の門柱は1964年の正門改修時に移転し、通用門として使われ現在に至っている。校舎創建当時の遺構で明治記念館より1年古い。

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第7号 「遠い生徒は寄宿舎で生活」

 

戦前、校内には寄宿舎があり、最盛期は120名の生徒が異なった学年を交え1部屋10人で共同生活を営んでいた。その暮らしぶりを紹介。

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第8号 「町立初代校長広瀬吉彌氏を探る」

 

これまで全く謎だった町立初代校長の広瀬吉彌氏のことが思わぬことからわかってきた。小川町から福井県、新潟県で取材を実施。広瀬校長の肖像画、経歴だけでなく、明治末期の東アジアの歴史が見えてきた​。

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第9号 「大正時代の運動会 ―ダンス他多彩な競技―」

大正時代の運動会を豊富な写真付で紹介。競技内容は実に多彩。袴をはいてのスクエアダンスはこの時代の女学校ならではのもの。種目名からどんな競技か想像するのも楽しい。

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第10号 「大正時代の学芸大会」

文化的な活動発表の場として学芸大会があった。朗読、談話、歌、合奏、学習成果発表の他、その場で書や絵を見せるなど。今日の文化部やカンタービレに繋がる活動を紹介。

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